新聞社を辞めた40歳。サラリーマンからフリーランスになることを決めたころでした。お金もない。メディア関係者を除けば、人脈も大したことない。そんな人間に今後の生き方を教えてくれたのは、ひろしまジン大学でした。
コーディネーターとしては7本ぐらい。カープ、サンフレ、トレーニングなどスポーツ関連が多かったけど、ボーリングにSNS系など未知の分野もありました。たまに平尾氏、ミチタ氏が鬼に見えました(笑)。まさかの1日2本コーディネーターもあったし。でも、プランの立て方、進行などは結果的にその後の仕事に役に立ちました。 何よりもディスカッションできる仲間ができたのは本当にありがたいことでした。ほぼ毎週のように、みんなと語らったことが今では懐かしいです。「入船」で酒飲んだのも楽しかった!西条の酒、竹原での竹細工もいい思い出です。ポールやしずかちゃんに勧めたれたランニングは、続いてます。今じゃ、毎年マラソンを走っていますよ。これも皆さんのおかげです。
広島に関わったのは3年弱。その後は生まれ育った福岡に戻って、福岡テンジン大学へ転校しました。もっと福岡でも授業せんといかんね(約7年で、まだ2本)。記事を書いていたら、お好み焼きが食べたくなりました(笑)。